税務訴訟 法令の解釈
法令の解釈
課税実務は、租税に関する法令について、国税庁の解釈した通達が重要視される。通達に反する申告をすれば、否認されるからである。法令の解釈として、通達が常に正しいわけでもないが、申告を否認されることのわずらわしさを考えると、通達が正しいか否かを考えることなく、通達に従った申告をする方を選ぶのが普通である。
通達自体は法令ではなく、単なる法令の解釈に過ぎない。法令の解釈には、必ず「立場」という主観的要素が加わる。ある法令を解釈する場合に、「課税庁の立場」から解釈する場合と、「納税者の立場」から解釈する場合とでは、解釈は正反対になることが多い。
たとえば、法令上の「事業」の解釈をする場合に、その事業に該当するときは、税法上の特例を受けられるとすると、課税庁は、特例適用の範囲を限定するために事業の概念を狭く考える。その反対に、納税者の立場からは特例適用の範囲が、広い方が利益であるから、事業の概念を広く捉えようとする。
このように、法令の解釈は解釈する者の「立場」が入り込む。この立場による解釈は、立場の持つ主観性・恣意性が本質である。したがって、法令の解釈は科学的ではなく、思想ないし意思の表現ともいうべきものである。
このような法令解釈の本質から考えると、税務に関する法令の解釈を課税当事者の一方である課税庁の策定にかかる通達に、全面的に依存する実務を当然視することは、納税者の権利・利益を放棄することにほかならない。納税者の立場での解釈が保障されないからである。
納税者は、現実の経済社会で存在し活動しているから、時代の新しい現実に直面している。つまり、納税者はそれぞれの立場で、経済社会の競争にさらされたり、時代の変化に対応することを迫られている。
したがって、現実の経済社会の競争にされされていない課税庁が、課税庁の税収確保の立場からする法令の解釈を絶対視すると、納税者が困惑することは明らかである。課税実務の現実では、このような現実が起きている。
右肩上がりの経済を前提に作られた通達が、今後10年以上にわたって、年率1%成長の時代に適切な法令解釈でありえようはずがない。ところが、課税実務はいまでも右肩上がりの経済を前提とした通達を、そのままの形で適用しているのではないだろうか。
そろそろ、通達偏重主義は検討すべき時期に来ている。妥協しすぎる国民に明るい未来は期待できない。
(文責 鳥飼重和)
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