税務訴訟 ストックオプション税務訴訟判決に思う その1

ストックオプション税務訴訟判決に思う その1

 東京地裁民事2部(市村陽典裁判長)から、平成15年8月26日にストックオプション税務訴訟に関して、原告納税者の全面勝訴判決の言い渡しがあった。

 今回勝訴判決を受けた原告は5人であり、その訴訟件数は7件である。現在、訴訟審理の対象になっている事件件数は79件であり、審査請求中のものも70件はあるようである。

 そのうち、当事務所で担当している事件が、訴訟件数で50件余、審査請求中の事件のうち、直接当事務所で担当しているのは20数件ある。

 この事件数が多いか少ないかであるが、通常の税務訴訟を考えると、この事件数は非常に多い。訴訟件数が100件という三桁になるのは時間の問題であるが。

 これだけの数が更正処分に納得していないのである。この納得していない最大の理由は、ストックオプションに関する更正処分が納税者の予測を大きく裏切ったためである。

 本来、課税は国民の納得を得て行なうものであるとするのが、近代憲法の成り立ちである。

 国王が一方的に課税することに対し、納税者である国民が血と涙で革命を起こして、課税をするには国民の代表である議会の制定した法律を根拠とすべし、としたのである。

 国民の代表の制定した法律を根拠にというのは国民の納得を得る1つの理由であるが、これは民主主義の要請である。

 もう1つ、国民が課税を納得する理由は、法律を課税の根拠にすることで、課税する側の納税者に対する権利の濫用を制限できるという自由主義の要請がある。 

 この自由主義の要請は、結局は法律による課税は、納税者が課税に関して予測どおりに課税されるという予測可能性の保障を意味することになる。

 ストックオプション税務訴訟事件で納税者が怒っているのは、課税に関する予測可能性を踏みにじられたことに対してである。

 直接的に納税者が怒っているのは、課税庁が長年にわたって、本件のストックオプションの行使による経済的利益を「一時所得」で申告するように指導してきたのに、ある日突然、税額が倍になる「給与所得」で過去3年にわたって修正申告をしろと強く要請したことである。

 課税庁が青信号であるから渡ってよいといったのに、3年経ってから「あれは赤信号であった」といって、過去に遡って課税したのである。

 しかも、過去3年分に対しては、納税者は何も悪くないのに、過少申告加算税と延滞税という懲罰的な賦課課税をしたのである。

 このような課税処分を納得できる納税者がいるわけがない。課税庁は予測可能性の自由主義的意味が分かっていないのではないか。

 現在の課税庁は近代以前の国王なのか。
 自分を「公僕」と思わず、国民を「下僕」と思っているのではないのか。権力の濫用の怖さから、自由主義の要請があることを課税庁は課税職員に教育しているのであろうか。

 課税庁の決済権限を持つ者の中には、「給与所得」とすること自体おかしいと考えていた者もあり、ただ上層部の命令であるから部下には「給与所得」で課税するように命じながら、反抗姿勢を示すために、印鑑を逆に押印したという者もいたと聞いている。

 国民が納得する課税をするには、従来、「一時所得」で課税したのを、「給与所得」で課税するのであれば、課税庁の見解が変わったことを国民に公表し、その徹底を図った上で、その後において給与所得で課税すべきである。

 この公表には、2つの方法がある。1つは、本件のストックオプションが所得税法の規定されている「給与所得」の中に含まれると解釈できる場合には、通達の改正で給与所得で課税する旨を明示すべきである。

 もう1つは、本件ストックオプションが所得税法上の「給与所得」に含まれると解釈できない場合には、所得税法あるいは租税特別措置法を改正し、本件ストックオプションを給与所得で課税する旨の規定を置くべきである。

 ところが、課税庁はいまだに、従来から一貫して課税庁は本件ストックオプションを「給与所得」として課税してきた。ただ、一部の税務署が勝手に「一時所得」で課税したと主張している。つまり、課税庁の見解は一貫して変化がないと言っているのである。

 これは真実であろうか。真実であるならば、過去の大多数の課税は「給与所得」であるはずである。そういう証拠を課税庁は全く出していない。

 しかも、我々が依頼者等から聞き取った限り、平成11年以前に「給与所得」で申告するよう課税庁から言われた納税者はいない。

 課税庁が間違えることはない、という前提を崩したくないのであろうが、これは国民の望まないことである。組織のために嘘をつく官僚を国民は持ちたくない。大本営発表は時代錯誤でしかないからである。

 国民が望むのは、課税庁が間違ったら間違ったことを率直かつ速やかに認め、同じ間違いを繰り返さないための再発防止をしてくれることである。

 間違いを間違いと認めないままだと、いつまで経っても、同じ間違いを繰り返すことになるのである。間違いがないと言う限りは、再発防止を考えることもしないからである。

 我々がストックオプション税務訴訟で問いたいのは、課税庁が素直に間違いを認め、同じ間違いを繰り返さないように再発防止を真剣に考えて欲しい点である。

 現状の課税実務の一部には、田園、まさに荒れなんとす、という形容が該当するようにひどいものがある。例えば、偽装、隠蔽がどこにも見当たらないのに、重加算税をかけてくる場合がある。

 課税庁の立場と納税者の立場が異なるのであるから、その立場の相違によって、法律の解釈が違ってよいはずである。

 ところが、現状は通達至上主義であり課税庁の解釈であるに過ぎない通達でしか法律解釈が認められない課税実務が定着している。

 つまり、事実上、法律は機能せず、国家の一方的解釈である通達のみが課税実務として機能している。これは民主主義の要請の空洞化であり、国家社会主義としか言いようがないし、ナチスのやり方が通用しているような感がある。

 今回の東京地裁の判決は、所得税法で規定している「給与所得」の概念には、本件ストックオプションが含まれないという解釈を示して、更正処分を全面的に取消したのである。

 この判決によれば、前述した国民の納得を得るには、単に通達を改正すれば足りるのではなく、法律改正をしてそれを公表し、その後でなければ、給与所得で課税してはならないということになる。
(文責 鳥飼重和)-2003.8.28

投稿者等

鳥飼 重和

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