経営者に必須の法務・財務 朝日新聞社事件の社会的意義

 前回で述べたように、朝日新聞社がテレビ朝日における主導権を維持して自社の長期経営計画の実現を図る方策としては、2つのものがありうる。このとき、いずれの方策を採用するかは、まさに経営者の経営裁量の範囲内の問題である。したがって東映との協力関係を強化する方策を採っても、あるいはソフトバンク側からテレビ朝日の株式を買取っても、経営判断にミスがあったとは言えない。
 裁判所は正面から、先に述べたような企業戦略達成のための手段の選択が経営者の裁量権の範囲内にあるとは述べていない。しかし先に述べた記述は、本件を担当した裁判官の思考経路に従ったものであると確信する。
 次に、2点めの株式の買取り価格の不当性について。非上場株式の適正な時価など分かるはずがない。これが出発点である。非上場株式について、簿価純資産法、類似業種比準価額法、収益還元価法等様々な価額算定方法が提案されている。しかし、これらの方法のどれ1つとっても、非上場株式の時価を的確に示すものはない。取引価格は当該株式を売買する当事者間の極めて相当的な交渉で決まるものである。したがって、どうしてもこの株式を欲しいと思う者は、簿価純資産法での株価の何十倍もの価額でも買取りを希望する。これは取引上、極めて合理的な場合も多い。逆に簿価純資産法上、いかに評価額が高い株式でも、買い手にとって魅力のない会社の株式であれば、簿価純資産を相当低減した価額でなければ売買は成立しないはずである。
 ただ、日本においては税務署が本来的には売り主と買い主との交渉で形成されるべき非上場株式の取引価額に過度に目を光らすために、自由な取引価額の形成がゆがめられているにすぎない。つまり、非上場株式の価額は売買当事者間の極めて非合理的要素をも含みながら、ダイナミックに形成されるところに本質があるのに、税法上、経済的合理人なる抽象的概念を持ち込み、非上場株式の売買価額の形成における非合理的要素を認めないために、売買当事者は税法上の否認を恐れて、価額を合理的にみられる金額に落とし込んでいるのが実情である。税務と経営との関係は、日本が国際競争に勝つためには、経営裁量に比重を置くべきではないかと思う。ついでながら、付言させていただいた。
 さて、未上場株式の価額は、売買当事者間の関係において、極めて高低の幅があるというべきである。この点について、裁判所はつぎのように述べている。
「証券取引所に上場されず店頭登録もされていない、いわゆる非上場株式については、会社の事情、評価の目的、場面等に応じて様々な評価の方法が考案されており、方法により評価額が異なるのであり、自ずから評価額にはある程度の幅を免れない」
 このような考え方により裁判所は、様々な評価方法は、非上場株式を売買する当事者間が交渉をするに当たっての参考資料にすぎず、その評価方法による評価額を絶対視すべきでないという正しい立場に立っている。したがって朝日新聞社が長期的経営計画の実現を図るために、ソフトバンク側から本件株式を取得する必要性を視野に入れつつ、本件株式の買取り価額を決めるという経営判断について、裁判所は「専門的かつ総合的な経営判断が要求されているというべきものであって、取締役らに委ねられる裁量の範囲も広い」との判断を示している。
 その上で、本件株式の売買価額は、ソフトバンク側が旺文社から本件株式を買取ったのと同額であり、しかもソフトバンク側は、その額と同額以上でなければ朝日新聞社側に譲渡しないという意向を確定的に示しているのである。したがって朝日新聞社はテレビ朝日に主導的地位を維持する必要性があるのであるから、ソフトバンク側が旺文社から本件株式を買取った額と同額で本件株式を買取ることを決定したとしても、その経営判断は取締役の裁量の範囲内にあるといえる。
 このように本件判決が、非上場株式の価額決定について、相当な範囲の経営裁量を認めた意義は大きい。というのは、これまで非上場株式の譲渡対価の決定に当たっては、従来から言われている様々な評価方法に必要以上に拘束されていたきらいがあり、そのため取引当事者間の価額形式が自由になされず、株主代表訴訟を恐れるあまりにM&Aが成立しにくかったからである。
 企業のリストラクチャリングが自由自在にできることが要請される今日、公開企業が非上場会社を支配下にしたいとき、あるいは支配する非上場会社を売却したいときに、常に問題となるのは、その売買価額の決定であり、そのときの制約要素が税務実務と株主代表訴訟であるが、この2つの制約要素を縮小させることが社会の要望であるといえる。本判決は、右の制約要因の1つにつき制約力を弱めるという意味で、現下の社会の要望に応えたといえる面があり、積極的に評価されてよいと考える。
 3点目の本件株式の買取り額の総額が、朝日新聞社の資産・負債・売上高等に比較して過大である点について。確かに本件の取引規模は朝日新聞社にとっては巨額のものである。朝日新聞社の総資産が433億円余のときに、本件取引は、それに匹敵する417億500万円の規模だからである。しかし、その取引規模が大きいからと言って、それだけで、その取引を決定した経営判断にミスありとはいえない。むしろ会社の経営目的の実現との関係で、会社の資金をいくら作り、それをいかなる使途に使うかは専門的、総合的な経営判断として、取締役に広汎な裁量権が与えられてしかるべきである。
 このような立場から、本件判決も、本件取引を決断した朝日新聞社の取締役の経営判断をその裁量の範囲内にあると判断している。その判断をするに当たって裁判所は朝日新聞社が本件株式を買収するための金融機関からの借入金についての返済計画があることなども考慮している。
 最後に、4点目の本件株式の買取りについての経営判断についての取締役会の審議が不十分かについて、裁判所はプロジェクトチームによる検討、専務会での方針決定、2回にわたる取締役会の開催等について検討し、慎重に手続を進めていることを認めて、意思決定の過程に特に不合理、不適切さはないと判断した。
(文責 鳥飼重和)
株式会社バンガード社 バンガード
平成11年10月号「株主代表訴訟の潮流」より転載

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鳥飼 重和

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