中央大学商学部教授 大淵先生が緊急寄稿!! 逆転・興銀事件判決を検証する~控訴審判決の事実認定と税法解釈への疑問~
1.問題の背景
日本興業銀行(以下「興銀」という。)が住専に対する債権を貸倒損失として損金処理したことの可否を巡る訴訟の控訴審・東京高裁判決が去る3月14日に言渡された。一審判決(東京地裁(民事三部)平成13年3月2日)は、興銀の貸倒損失処理を全面的に支持したが、控訴審判決は貸倒損失の損金算入を否定して一審判決を取り消した。かつて、増額賃料支払い請求訴訟の係属中に、下級審の仮執行宣言付判決に基づき支払われた増額家賃の収益計上時期について、一審判決は支払時、控訴審判決は本訴判決確定時、上告審判決(昭和53年2月24日)は一審判決と同様に支払時とする逆転判決があるが、本件控訴審判決の損失計上時期に関する法解釈は、この最高裁判決に抵触するとも考えられる。
本稿では、貸倒損失に関する事実認定と法解釈に関しての秀逸な一審判決と全く逆の判断に至った控訴審判決を取り上げて、その問題点を検証することとするが、紙面の関係から、特定の事項に限定して論述せざるを得ないことをお断りしておきたい。なお、一審判決の判示内容についての検証は、拙稿「貸倒損失の認定基準と『社会通念』」(税務事例財経詳報社>2001年12月号~2002年3月号)に詳論しているので参考にされたい。
2.興銀事件の概要と一審判決の要約
被控訴人(原告)の興銀は、いわゆる住宅金融専門会社(住専)・日本ハウジングローン(株)に対して3,760億円余の貸付債権(「本件債権」といい、住専に対する母体行の債権一般を「母体行債権」という。)を有していたところ、住専処理策を内容とする住専処理法案が、公的資金導入に反対する当時の新進党の国会内における座り込みにより、平成8年3月末日までに可決成立しないことが確実になったことから、当期の貸倒損失に備えて有価証券を譲渡して含み益を実現させていた興銀は、平成8年3月29日付けで日本ハウジングローンと債権放棄の合意書を締結し債権の全額を放棄、担保権も全面放棄をした上で、全額貸倒損失として損金の額に算入した。これに対して、控訴人(被告)税務署長は、本件債権は全額回収不能には至っていないと認定して、その貸倒損失の損金控除を否認する更正処分を行った。
一審判決(東京地裁平成13年3月2日)は、母体行債権の全額放棄は最低限の母体行としての責任負担であるから、仮に、住専処理法案が成立しなかったとしても、その代替案の処理策においても、興銀らの母体行は、その有する住専債権を回収するための行動を起こすことは、銀行として社会的に有害無益であると判示し、社会通念上、興銀の本件債権はその全額が回収不可能であったと認定して、興銀が本件債権を貸倒損失として計上したことは適法であるとした。また、解除条件付債権放棄による損失は、平成8年3月末日では債権放棄の法的効力は発生し、その効力は抽象的なものではなく訴訟においても本件債権の不存在は確認される程度に具体的に発生しているのであるから、損失の発生は確定しているというべきであると判示し、また、本件解除条件付債権放棄の実質は停止条件付債権放棄であるという被告主張に対しては、「取るに足らない主張」と排斥し、本件更正処分は違法であると認定してその全部を取り消した。
3.控訴審判決の要旨
(1) 日本ハウジングローンの正常資産及び不良債権のうち回収が見込まれる金額の合計額は、少なくとも1兆円は残されていたことが推認され、この金額は、日本ハウジングローンの借入金総額の約40%にも上るのであるから、本件債権が全額回収不能であったといえない。なお、被控訴人(興銀)は母体行の住専債権は、関係金融機関の合意又は社会通念により、弁済順序において最劣後のものとなっていた旨主張するが、そのような合意も認められず、また、法的にみて本件債権が劣後化したとまで判断することはできない。
(2 )担保権の放棄は、株主代表訴訟によってその責任を回避するために本件債権放棄に解除条件を付したものと認められるから無条件で放棄したものとは考えられず、解除条件が成就して本件債権放棄の効力が消滅した場合には、担保権についてもこれを消滅させない趣旨であったものと解されるところ、解除条件が成就する可能性も相当程度あった本件債権が同年3月末時点において全額が回収不能になっていたものということはできない。
(3) 債権の全額が回収不能であるとは、債務者の実際の資産状況、支払能力等の信用状態から当該債権の資産性が全部失われたことをいうのであって、責任財産がありながら、債権行使に対する社会的批判等の他事を考慮して債権者が当該債権を行使しないこととしたような場合などは、これに当たるものではない。
(4) 課税は、私法上の法律行為の法的効果自体にではなく、これによってもたらされる経済的効果に着目して行われるものであるから、ある損金をどの事業年度に計上すべきかは、具体的には、収益と同様、その実現があった時、すなわち、その損金が確定したときの属する年度に計上すべきものと解すべきところ、解除条件付債権放棄の私法上の効力は、当該意思表示の時点で生ずるものの、本件におけるような流動的な事実関係の下においては、債権放棄の効力が消滅する可能性も高く、未だ確定したとはいえないのであるから、本件解除条件付でなされた債権放棄に基づいて生ずる損金については、日本ハウジングローンの営業が譲渡され、解散の登記がされた翌事業年度の損金として計上すべきである。
4.控訴審判決の事実認定と法解釈の欠陥
本件控訴審判決の問題点は、[1] 証拠を無視した一方的な証拠評価による事実認定の疑問、[2] 住専問題という特異な事例に当たって、資力以外の企業経営上の実質無価値化による債権の回収不能損失の新規的な解釈認定を否定して、資力のみに着目した貸倒損失の認定判断の疑問、[3] 解除条件付債権放棄による税法上の損失計上時期に関する法解釈の誤謬、以上の点に集約することができる。
先ず、[1] に指摘した問題点の第一は、日本ハウジングの債権等の資産総額を1兆円と推認していることである。この金額は、日本ハウジングの有する不良債権(当時の大蔵省の金融検査の資産分類上、第II分類債権以上のもの)のうち、第II及び第III分類の不良債権が住専処理策に基づく住専処理機構に対する債権の簿価譲渡を前提として認定された金額を基にしていると解されるが、解除条件の成就による債権放棄の効力の消滅の可能性により住専処理案の可決成立を疑問視する一方で、その住専処理策に基づく資産総額を推認していることは自家撞着である。また、仮に、判決の推認する資産総額が正当であるとしても、当時、政治的、社会的な母体行責任の追及を受けて、興銀の頭取による母体行債権の全額放棄の国会陳述、興銀の中間決算報告による全額放棄宣言等、興銀の本件債権の全額放棄は当然の前提として住専処理策が検討されていたものであるから、このような客観的事情を踏まえれば、母体行責任により本件債権は、農林系の金融機関等他の債権者に事実上劣後し回収不可能と認められることは当然のことであると解される。
一審判決が、国会陳述や中間決算報告による母体行債権の全額放棄宣言、国会における審議の内容等の詳細な事実認定により、他の債権との劣後性とは無関係に、本件債権の回収不能性を直接認定したものであるが、控訴審判決は、かかる事実関係を証する証拠の評価について何ら敷衍せず、本件債権の他の債権に対する事実上の劣後性を否定したことは信じ難いことである。
また、担保権に関する控訴審判決の評価も債権放棄の合意書の文言の解釈として不当である。本件解除条件付債権放棄に関する条項とは別の条項により担保権の全面無条件解除を約定しているのであるから、解除条件が成就して本件債権が復活した場合に、担保権も復活するというのが当事者の意思であれば、解除により復活した本件債権の不遡及の約定とは別に、担保権の復活に関する条項が約定されていることは当然のことであろう。もとより、母体行責任を負う興銀が本件債権の回収を図る意思のないことは、前記の国会陳述等で明確にされているのであるから、興銀は担保権の復活について別途約定する意味はないということである。
問題点の[2] は、一審判決が、社会的存在としての銀行業を営む興銀が本件債権を行使することは、この上なく無益、有害な行為であるから、本件債権は、社会通念上回収不能の状態にあったと認定したのに対して、控訴審判決は、当該債権の資産性が全部失われたものでない以上貸倒損失には該当しないとして排斥した。一審判決が既存の法基通9-6-2又は同9-4-1に該当しないとしても、本件のような状況の下で、回収が不可能な客観的状況にある本件債権は、事実上、経済的無価値であり損失として控除されるべきことを判示したもので、既存の通達にとらわれない解釈を示した点で秀逸な判示であると評価されるところである。しかるに、控訴審判決は、租税における租税負担能力の欠如を前提とした一審判決の深遠な法理論を理解せず、典型的な資力喪失による回収不能の貸倒損失という形式的判断に止まったことは、本件の経済的実態を無視した判決であり、一審判決に比べて百歩後退した判決と評価されてもやむを得ない。
問題点[3] の解除条件付債権放棄による損失の計上時期について控訴審判決は、それまでの法的な形式的側面を重視した判断内容から一転して、法律行為の法的効果自体ではなく、その経済的効果に着目し、本件解除条件成就により債権放棄の効力が消滅する可能性も高く、債権放棄による損失は未確定であると認定判断して当期における貸倒損失の損金計上を否定した。控訴審判決は、本件解除条件付債権放棄により私法上の効力の発生(つまり、本件債権の消滅)を前提としつつ、税法上の損金の発生確定を否定し、その損金算入は解除条件不成就の確定した翌期であると解釈したものであるが、このことは、私法上、期末に存在しない本件債権の計上を強要するものである。もとより、私法上、債権放棄により消滅し存在しない債権を貸借対照表に計上するというのは、それが擬制資産たる繰延資産に該当しない限りありえないことである。ちなみに、控訴審判決は、「収益と同様、その実現のあった時、すなわち、その損金が確定した時の属する年度に計上すべきもの」と判示しているが、例えば、土地を解除条件付売買契約により引き渡し所有権移転登記も経由した場合、解除条件が成就する可能性があるから、売買収益(損益)は実現したとはいえないとして、その引渡し時の収益計上を否定するのが控訴審判決の論理であるが、かかる解釈は、従前の課税実務と真っ向から抵触するものである。なかんずく、控訴審判決の損失計上時期の解釈は、前述した判決が未確定の状態であっても、仮執行宣言付判決により支払われた増額賃料は収益として実現しているとする前記最高裁判例に違背する。
本件控訴審判決は、このような課税実務や最高裁判例の存在を承知していない結果の判決であると思料するが、仮に、本判決の結論の正当性を支持する論理としては、解除条件付債権放棄の実質は停止条件付債権放棄であるという私法上の法律行為の置き換えが、その実態におい可能な場合であるが、本件の場合、かかる主張は、一審判決が判示したように「取るに足らない主張」というほかはない。
一審判決が精緻で綿密な事実認定に基づいて法的、経済的実質的な評価を行い、かつ、既存の通達やその通達の従前の枠内で取り扱われたケースに捉われることなく、経済的実態に即した秀逸な論理に基づいて結論を導いているに対して、本件控訴審判決は、一審判決で重要な認定事実の根拠とされた証拠を捨象して、一方的な事実認定に基づいて結論を導出している。司法の判断としてのプロセスとその論理があまりにも相違することに驚愕の念を禁じえないが、これはどのように評価すればよいのであろうか。
最近の税務判決の中に芽生え始めた納税者の視点からの判決の流れが、この控訴審判決により停滞することがないよう祈るととともに、事実審とは異なり審理内容に制限はあるものの、本件上告審におけるさらなる議論に期待したい。
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