ストックオプション税務訴訟 新春特別企画-前編- 村井勝氏と八幡惠介氏が語る日本経済の再生 -インセンティブのない日本に未来はない-

――  本日は、コンパックコンピュータ(株)前会長である村井勝さんと、アプライドマテリアルズジャパン前社長の八幡惠介さんに、日本でも法整備が進んできたストックオプションのそもそもの理念と、それをどのように活用していくべきかをお伺いしたいと思います(前編収録)。
そして現在お二方も課税当局を相手取ってストックオプション税務訴訟を起こされておられますが、この問題につきまして、出廷もされている原告のお立場でお話を頂きたいと思います(後編収録)。
   
八幡: ストックオプションが米国で使われ始めたのは1960年代の終わり頃からではないでしょうかね。その頃は大変自由な設計が出来たと聞いております。それからSEC(米国証券取引委員会)の規制が入ってきて、現在のような形になったはずです。私が初めてストックオプションに触れたのが1981年、シリコンバレーのNECエレクトロニクスにいたときです。そのときは「ゴールデンハンドカフ(金の手錠)」という名前で呼ばれていました。
   
――  ストックオプションは貰う方の立場で考えがちですが、与える側の経営者にとってストックオプションとはどのようなものなでしょうか。
   
村井: ストックオプションというのは、条件として提示される色彩の強いものです。分かりやすく言えば、プロ野球選手の契約と同じようなものです。「雇う、雇われる」ではなく、お互いがいくつかの条件を出して仕事を行う、その中の選択肢の一つと考えてもらった方が良いと思います。
   
八幡: ストックオプションはある面非常に不平等なものなんですね。つまり、全員に均等に付与されるものではないんです。会社が一方的にこの人には付与する、この人には付与しないとする訳ですから。要求してもらえる場合もあり、もらえない場合もあり、逆に要求しなくてももらえる場合もありと、実に様々なんですね。完全な相対取引です。日本のように年齢や勤続年数で一律に決められるという種類のもので はないんですね。
   
――  経営者としてストックオプションを付与する場合の判断基準はどうなのでしょうか。
   
八幡: 経営者としては過去の業績に対して与えるものが「給料」であって、ストックオプションというのはその人が将来会社に何をしてくれるかという観点から与えるものだと思います。
   
村井: そうですね、全く同感です。
   
――  ストックオプションは時価で渡すわけですから、将来を期待してということでしょうか。
   
村井: そうです、そうです。まさに未来への期待値なんですね。株価が上がらなければただの紙切れですから。
   
――  付与された方々は、ストックオプションを付与されてから変化は見られますか。
   
八幡: 私が経験してきたLSIロジックやアプライドではその点は非常に顕著な変化がありますね。株価に対して非常に敏感になります。株価の変動で一喜一憂という部分もあるのですが、下がった場合も興味深いですよ。例えばLSIロジック自体の業績は大変良いのに、他の半導体メーカーなどが悪かったとしますね。そうするとこちらの株価まで落ちてしまうんです。そうするとストックオプションの意味がないではないかという議論まで巻き起こって。その面からも非常に不安定な性質を持っているんですね、ストックオプションというのは。
   
村井: これはコンパックのカルチャーなのかもしれませんが、コンパックでは「家族的意識」を持ってもらいたいという観点から、昔は全従業員にストックオプションが付与されていたんですね。それが企業の業態などに大きな変化が出てきて、拡大を追求しますから従業員を多く抱えることになりますね。そうすると今度は選ばれた社 員だけが付与されるようになっていくんです。
   
八幡: スタートアップ時のベンチャー企業に有効な方法ですね、ストックオプションは。
   
村井: その通りです。創業間もないベンチャー企業などはとにかくお金は開発や事業投資に使いたいんです。働く人の報酬というのは出来る限り低く抑える。その代わりに将来を期待してストックオプションを活用する訳ですが、その頃はまだ未上場ですからね。紙切れですよ。上場できなければ本当に無価値なものなんです。これを給料というのは無理ですね(笑)。
   
八幡: 私がNECエレクトロニクスにいたときのことなんですが、アメリカ人の社員が他のスタートアップした会社のストックオプションを引き合いに出して言うわけですよ。「ウチでもストックオプションがないと士気が上がらないよ」とですね。でもNECエレクトロニクスは上場してませんから、当時アメリカで発行できたADLというものをストックオプションとして使おうと考えたんです。これは、社債に近い証券なんですが、NEC本社の業績に連動して価値が上がっていくという種類のものなんです。でも、アメリカ人達はこう言うんですね。「NECエレクトロニクスの全社員が一丸で業績を上げたってNECの業績自体は微動だにしないよ。そんなものはインセンティブとは言えない。自分達の働きにリンクしていくからこそ意味があるんじゃないか」と。これがストックオプションのスピリットなんですよ。
   
――  そうであれば、今回問題となっている海外親会社からのストックオプションというのはどういう意味を持つのでしょうか。
   
村井: 会社によって、経営者の考え方が違うから一概には言えないけれど、例えばコンパックの場合ですとワールドワイドでオペレーションをしてますよね。そこの全会社に対して与えている訳ですよ。そうすると業績の良いところにも与える、悪いところにも与えるという方式ですから、この場合は業績連動じゃないんですよね。
   
八幡: う~ん、それは完全なギフト(贈与)ですね。
   
――  そうしますと、業績に対する報酬、将来への期待という面とは別にギフトの要素も強いということになりますか。
   
村井: コンパックの場合には家族主義的な意識が強いという面があったのかも知れないけれど、皆で頑張ろうよという発想なんですね。ですから、Aという国は売上が良いけど、Bという国は悪い場合も当然にありますね。でもその場合でも平等に与えてくれていた。日本コンパックなんかは1991年の設立で、翌年、翌々年は赤字なんですね。でもそのときでもたくさん貰ってた。これは他の国が好調だったんでしょうね。その代わりに今度はこっちが頑張ってお返ししなきゃという気持ちになる。ですから必ずしもその国のコンパックやその会社の役員・従業員の業績に連動しているというものではないんです。
   
八幡: これは今回の訴訟の核心に触れる部分だとも思うんですが、「給与」というものと「ボーナス」というものはアメリカでは全く別物だという考えなんです。日本でボーナスというのは、いわば「給与の延べ払い」的性格が非常に強い。日本の場合は最近でこそ変わってきたけど、それでも給与の2.5か月分とか3か月分だとかいった給与の一部分だという考え方なんですね。逆にアメリカでは、ボーナスというのは貰えるかどうか分からない、つまり天から降ってくるようなものなんです。僕はね、ストックオプションというのは一種のボーナスのような性格を持っているんだと思います。アメリカではボーナスというのは給与とは全く独立していますからね、性格が別物なんです。ボーナスはギフトに近い性質なんです。べスティング(Vesting)という言葉でも分かるようにね、どんなに株価が上がっていてもベストされていなければ行使出来ない、すなわち自分の収入にならないんです。給与であればこんなことは有り得ない、働いたら一定期間ごとに貰えるものですからね。だからストックオプションそのものの性格として給与ということは出来ないと考えているんです。あと、ボーナスの本来的意味を確立しておかないとストックオプションは理解できないでしょうね。
   
――  米国のテロに象徴されるように、株というものは非常にリスキーですが。
   
村井: そこなんですよね、問題は。テロ事件の前後というものを考えても分かりますが、ある日を境に株価が暴騰したり、また暴落したりということが起こるわけです。仮にですよ、全く同じ条件の従業員が二人いたとします。年齢も学歴も入社も仕事の内容も、そして業績自体も同じで持っているストックオプションも同じというです。それが行使する日が数日、もしくは一日ずれただけで所得に何十万ドル何百万ドルという差が出るわけです。そのタイミングの差により税額が全く違う。これがねえ、生活の糧として受取る給与と同一区分の所得だというのは常識から考えてもおかしいでしょう。
   
八幡: 納得できないでしょうねえ。ストックオプションは情報技術の先進性を見込んで投資家達が買いに走った、その結果として高収入を実現した人達がいたために、課税当局から「取りやすいところ」として目を付けられたんだと思います。しかし、成長性が低いもしくは見込まれない企業のストックオプションというのは、紙切れに近い殆ど無価値なものなんですね。その無価値なものを給与として受け入れろと言われても働く人達は納得出来ないでしょう。それは有り得ないことですよね。
   
村井: それはさっき八幡さんがおっしゃられたべスティングの点からも明らかだと思うんです。テロの前にべスティングされた人と、後にべスティングされた人ではその行使時期によっては天と地と程の差が出るわけです。偶然性に左右される所得なんですね。
   
-後編-

村井勝氏
学歴: 関西学院大学商学部〔昭和35年〕卒;カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院経営学専攻〔昭和37年〕修士課程修了
経歴: 昭和37年米国IBMに入社。38年日本IBMに移り、日本最初のオンライン・バンキング・システムの構築を手がける。63年情報通信事業統括本部長を経て、平成3年コンパック初代社長に就任。9年4月会長に。10年1月日本タンデムコンピューターズとの合併に伴い、コンパックコンピュータ取締役相談役に就任。のち顧問。外資系情報産業研究会会長、ジェネラル・アトランティック・パートナーズ特別顧問、ビジネスカフェジャパン会長も務める。

八幡惠介氏
学歴: 大阪大学工学部通信工学科〔昭和33年〕卒;シラキュース大学大学院〔昭和37年〕修士課程修了
経歴: 昭和33年日本電気入社後、35年米国シラキュース大学留学。56年米国のNECエレクトロニクス社長。58年日本電気理事、59年退社。60年1月米国のLSIロジック社出資の日本法人として同年春発足した日本LSIロジック社長に就任。平成5年会長、6年相談役。11年日米の半導体ベンチャーを育成するためのコンサルタント会社、ザ・フューチャー・インターナショナルを設立。この間、昭和60年9月からは日本セミコンダクター社長、平成元年同社会長、7年1月アプライドマテリアルズジャパン(AMJ)社長。半導体業界きっての米国通。
(聞き手は、弁護士 間瀬まゆ子 / 高田貴史)

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