所得税法72条1項の「損失」の意義が争われた税務判決 ~東京地裁令和6年1月23日判決~

1 はじめに

所得税法72条は雑損控除を定めた規定であり、同条1項は、居住者又はその者と生計を一にする親族の有する資産について、災害、盗難又は横領による損失が生じた場合において、その年における損失の金額の合計額が、所定の限度額を超えるときは、その超える部分の金額が、その者の総所得金額等から雑損控除として控除される旨を規定しています。

本件では、資産(マンション)が災害(台風)により被害を受けた場合における同項の「損失」の意義が争われ、本判決(※1)は、物理的損害のみがそれにあたるという判断を示し、この点に先例的意義があります。

また、本判決は、同項により控除される金額の前提となる「雑損控除対象損失金額」の算定方法についても興味深い判断を示しています。

本判決は、上訴されているようですが、仮に本判決の判断が上訴審でも確定すれば、実務に影響を与える重要な判断であると考えます。

2 事案の概要

X(原告)は、平成21年8月、川崎市に所在するマンション(本件マンション)を取得し、同マンションに居住していました。

令和元年10月に台風19号(本件台風)が到来し、本件マンションは、り災場所を「地下発電設備」とし、住家等の被害を「非住家浸水」(住家以外の建築物に係る浸水)とする被害を受けました。これにより、本件マンションの共用部分(Xが共有持分を所有)の一部として地下1階又は地上1階に設置されていた電気、電話、通信及び給排水等の設備等(本件被災設備等)が修繕等の措置を要する状態になりました。他方、Xの専有部分については、本件台風による物理的な被害は認められませんでした。

Xは、令和2年3月12日、所轄税務署長に対し、確定申告をしましたが、同申告において、本件台風による被害について、雑損控除の規定が適用されるとして、「損害金額」984万4270円及び「保険金などで填補される金額」0円を基礎として、雑損控除の額を算出していました。

これに対し、所轄税務署長は、Xに対し、雑損控除の規定の適用はないとして、更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分(本件更正処分等)をしました。

Xは、本件更正処分等に対する審査請求をしましたが、棄却の裁決を受け、本件更正処分等の取消しを求める本件訴えを提起しました。

3 裁判所の判断

(1)「損失」の意義

Xは、所得税法72条1項の「損失」に物理的損害以外の損害による未実現の価値の減少が含まれると主張しましたが、本判決は、以下のように「損失」の意義を述べ、Xの主張を排斥しました。

所得税法72条1項の雑損控除は、災害により損失を被った場合には、その原状回復のために相当の出費を要することに伴い、多分に担税力が減殺されることに着目して設けられた制度である。

そして、ある資産が災害により被害を受けた場合において、物理的損害(当該資産そのものに対する物理的な被害から直接生じた損害)については、通常、再取得又は修繕等を行うことにより原状回復が可能であり、これに雑損控除を認めるのは上記制度趣旨にかなうが、再取得又は修繕等による原状回復をおよそ想定することができないものについてまで雑損控除を認めることは、同制度趣旨に反するといわざるを得ない。

以上によれば、所得税法72条1項の『損失』とは、通常、再取得又は修繕等を行うことにより原状回復が可能である物理的損害をいい、物理的な被害から直接生じたものではない損害は『損失』に当たらないと解するのが相当である。

(2)雑損控除対象損失金額の算定

前提知識ですが、雑損控除として控除される金額の前提となる「雑損控除対象損失金額」は、次の算式で計算されます(所得税法72条1項)。

雑損控除対象損失金額=(資産について受けた損失の金額+災害関連支出)-保険金等填補金額

この雑損控除対象損失金額の計算について、本判決は、以下のように判示しました。

『資産について受けた損失の金額』(A)は、被災直前の時価から、災害による物理的損害のみを評価して算定された被災直後の時価を差し引いた金額となるが、通常、このように災害による物理的損害のみを評価して被災直後の時価を算定するのは困難であると思われるところ、『資産について受けた損失の金額』(A)、は資産を災害前の状態に戻すために必要な支出に相当する金額(A’)を超えるものではないと考えられる。そうすると、資産を災害前の状態に戻すために必要な支出に相当する金額(A’)と災害関連支出の金額(B)を明らかにすることができれば、これらの合計額(ただし、重複部分を除く。)は、通常、『資産について受けた損失の金額』(A)と災害関連支出の金額(B)との合計額を超えることはない。

このように述べた上で、本判決は、実際に支出された本件被災設備等の復旧工事費用等の額を基に、資産を本件台風前の状態に戻すために必要な支出の金額(A’)と災害関連支出の金額(B)の合計額は3億2665万8244円、保険金等填補金額(C)は3億3333万1868円と認められ、とすれば、本件マンションについて、「資産について受けた損失の金額」(A)と災害関連支出の金額(B)の合計額は、最大でも3億2665万8244円であり、ここから保険金等填補金額(C)である3億3333万1868円を差し引くと、その金額は零円を下回る、したがって、Xに雑損控除対象損失額はない、と述べました。

以上のように判示し、本判決は、Xの請求をいずれも棄却しました。

4 検討

雑損控除制度は、シャウプ勧告を受けて、昭和25年度の税制改正において採用され、現行の制度の基となる規定が置かれました。

所得税法72条1項の「損失」については、「納税者の意思に基づかない損失」がこれに当たるとする裁判例はありましたが(横浜地裁平成15年9月3日判決など)、「損失」の意義を正面から判示した裁判例は(私には意外なことでしたが)おそらく本判決より前にはなかったと思われます。

実際には、従前から、同項の「損失」は物理的被害による損失と解されていたようですが(※2)、雑損控除制度の趣旨から、「損失」の意義を「再取得又は修繕等を行うことにより原状回復が可能である物理的損害」と明示した本判決の判断は、先例的価値を有し、災害が多い我が国では、注意すべき重要な判断であると思われます。

また、この「損失」の意義を前提として、本判決は、雑損控除対象損失金額の前提となる「資産について受けた損失の金額」は、被災直前の時価から、災害による「物理的損害のみ」を評価して算定された被災直後の時価を差し引いた金額となると判示しましたが、本判決も述べているように、このような評価は困難であると思われます。そこで、本判決は、これに代えて、「資産を災害前の状態に戻すために必要な支出に相当する金額」等、平たく言えば、現実に支出した修繕工事費用等の金額から雑損控除対象損失金額を算定する方法を示しました。このような本判決の現実的な判断も実務の参考になると考えます。

※1 TAINS Z888-2678(裁判所ウェブサイト「行政事件裁判例集」掲載)

※2 『DHCコンメンタール所得税法(第3巻)』4655頁

以上

投稿者等

橋本 浩史

業務分野

税務紛争

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