「ブラック企業」と言われないために ~ 保健師と精神障害者とシングルマザーを戦力化すべし ~
(初出:月刊「ザ・ローヤーズ」(ILS出版)2014年1月号)
弁護士 小島健一
1.「ブラック企業」の烙印を押されたらどうなるか
2013年の「ユーキャン新語・流行語大賞」は、よく知られた4つの言葉が同時受賞したことで大きな話題となったが、そのトップテンには、「ブラック企業」が、「アベノミクス」や「特定秘密保護法」と並んで堂々ランクインした。
授賞式には、「ブラック企業」問題を提起し続けているNPO法人「POSSE」の代表、今野晴貴氏が登壇した。
「ブラック企業」という言葉を知らないビジネスマンはもうほとんどいないであろうが、自社が「ブラック企業」と言われることのないよう、本気で心配している経営者は、どれほどいるだろうか。
ここで注目すべきは、2013年10月に連合系のシンクタンク「連合総研」が民間企業に勤める2000人を対象に行ったアンケート調査[1]のショッキングな結果である。
年齢層が若くなるほど自社を「ブラック企業」とみなす割合が大きくなり、最高の20代ではその割合は24%にものぼった。若い社員の実に4人に1人が、自分が勤めている会社は「ブラック企業」だと認識しているというのある。アンケートでは、「ブラック企業」を「違法な長時間労働や賃金不払い残業、離職率が極端に高いなど若者を使い捨てにするような企業」と定義しています。
この調査結果の中で興味深かったのは、男性の場合、正社員・非正社員の間に大きな違いが無かったのに対して、女性の場合は大きな違いがあり、女性の正社員は、男性よりも自社を「ブラック企業」とみなしている割合が大きかったということである。「ブラック企業」問題は、とりわけ女性の正社員に対して強い影響を及ぼしていることがうかがえる。
2. 矢継ぎ早に繰り出される当局による「ブラック企業」対策
まず2013年4月から、厚生労働省は、若者を積極的に雇用・育成する企業を認定する「若者応援企業宣言」事業をスタートさせている。これは、労働環境などについて得られる情報が少ない中小企業への就職に不安を感じる学生が少なくないことから、行政が「非ブラック企業」のお墨付きを与えようというものである。
すなわち、過去3年度分の若者(35歳未満)の採用実績と定着状況、前年度の所定外労働時間の実績、有給休暇・育児休業の取得実績などを公表すること、事業主都合の解雇・退職勧奨を行っていないことなど7つの条件を満たした企業には、「若者応援企業」の名称を使用してアピールすることを許すなど、ハローワークが若者採用を積極的に支援するものである。
2013年10月末時点で既に4375社がこの宣言を行ったとのことであり、各労働局のホームページでそれらの会社名を閲覧することができる。
これは、ブラック企業と思われたくない企業に対する支援であるが、当局は、次のようにブラック企業と疑われる企業に対する取締りの強化と牽制にも動いている。
すなわち、厚生労働省は、2013年8月、若者の「使い捨て」が疑われる企業等への取組を強化すると発表した。取組の柱は、①長時間労働の抑制、②相談へのしっかりした対応、③職場のパワーハラスメントの予防・解決の推進である。
右の①については、労働基準監督署やハローワーク等への苦情や通報を端緒に、離職率が極端に高いなど若者の「使い捨て」が疑われる企業等を把握し、2013年9月を重点月間として、労働基準法及び労働安全衛生法における関連規制、すなわち、時間外・休日労働の規制(三六協定の範囲内であるか)、割増賃金の支払い(サービス残業がないか)、健康確保措置(医師による面接指導等が実施されているか)の遵守状況を徹底的に取り締まるというものです。
重大・悪質な違反が確認された場合、刑事処分のため送検し、社名と違反内容を公表する、とのことである。
また、右の②の一環として2013年9月1日に実施された全国一斉の電話相談では、一日で1042件の相談があり、そのうち、割増賃金不払いのサービス残業についての相談が全体の半数を占め、その他には、上司の暴力などの深刻なパワハラ被害の申告もあったそうである。以後も、ハローワークにブラック企業問題専用の相談窓口を設置するなど、労働行政各部局の窓口で相談を受け付けている。
さらに、厚生労働省は、2013年12月には、2015年春の大卒や大学院卒に向けたハローワークを通じた求人において、企業に過去3年度分の採用者数と離職者数の公表を求めることを決定したと報じられている。この公表は任意であるものの、同省は、公表しないことがかえって離職率の高いことをうかがわせ、学生が敬遠することになる、などと述べており、企業が自主的に情報を公開することを期待しているようだ[2]。
このように離職率などの数値が公表され、他社と比較されることになると、各企業は、若者が定着するよう意を砕かざるを得なくなるはずである。
ハローワークを通じての求人を行っていない企業においても、インターネット等では就職先としての会社に関する情報が交換される場が多数あることに留意する必要がある。就活中の若者は、インターネットやソーシャルメディアを駆使して、応募しようとする企業の情報を目を皿のようにして探している。その企業の内実はどうなのか、メディアでの報道や論評は勿論、退職者を含む先輩達の間での評判をとても気にしている。最初に就職する会社は、その後の職業人生を決めてしまうくらいに重要であるから、当然だと思われる。
企業としては、ひとたび「ブラック企業」の烙印を押されてしまうと、良い人材を採用することの大きな支障となることは、容易に想像していただけると思う。
3.「ブラック企業」とはどういう会社か?
「ブラック企業」という言葉は、5年くらい前から若者の間で頻繁に使われ始めたそうである。確かに私も、その頃から「●●社はブラックだ!」といったネット上の書き込みを見掛けるようになり、あっと言う間にその頻度は増していった。
当初は、違法な営業活動をしているとか、反社会的勢力とつながりがあるとかの告発なのかとも訝っていたが、何度も目にしていると、どうもそういう意味であるとは限らないことが分かってきた。
つまり、正社員として採用された喜びも束の間、いざ入社してみると、その過酷な職場環境と劣悪な就労条件の実態が分かってきた、例えば、残業代が支払われないから時間単価にすれば非正社員と変わらない給料なのに、正社員ということで重いノルマや責任を負わされたり、長時間・過密労働を強いられたり、上司からは指導かイジメか分からないような叱責や圧迫を受けたりして、このままでは身も心もボロボロになってしまう、とんでもない会社だから気をつけろ!などという情報がネット上を飛び交うようになったのである。
そもそも2000年代後半には、「ブラック企業」という言葉こそ使われなくとも、高止まりする新卒社員の離職率や、うつ病、適応障害等のメンタルヘルス不調の激増という現象を踏まえ、1990年代から推進された正社員のリストラ・採用抑制、非正規雇用への切替え、即戦力の重視、成果主義への移行などの結果、企業が人材育成力を失い、若者の雇用が劣化しているとか、職場におけるストレスが極まり、職場が崩壊しつつある、などという警告は現れていた[3]。
しかし、経営者をはじめとする上の世代の大方の見方は、このような若者を取り巻く問題の原因を「ゆとり世代」に代表される昨今の若者自身の精神的な未熟さに帰着させる傾向にあったことは否定できない。
そこに、2008年、リーマンショックによる急激な円高・株安によって日本経済に大ブレーキが掛かることとなり、名だたる大企業までもが、派遣社員の打切りや期間雇用者の雇止め、さらには正社員の大規模な希望退職実施に突き進むこととなった。伝統的な日本企業も、株主からの要請に応え、グローバル競争で打ち勝っていくためには、人件費を大胆に削減し、生産性を大幅に引き上げるため、いよいよその「終身雇用」慣行を完全に捨て去るしかないと覚悟を決めたかの如くである。
その一方で、デフレ不況下でも好調な業績を上げ続けている一部の新興企業については、その経営哲学や人事管理の手法について、否応なく関心が高まりつつあった。
このような状況において、前述の「POSSE」が提起したのが「ブラック企業」問題である。
ここで念のため確認しておくが、「POSSE」が指摘しているような個々の企業の内情や個別の事案については、私はその真偽を判断できるような直接の知識を持っていないので、如何なる意味でもコメントは控える。本稿は、「ブラック企業」という言葉によって代表されるイメージとしての企業について論じるものである。
「POSSE」代表の今野氏は、最近の著書[4]において、「ブラック企業」を「新興産業において、若者を大量に採用し、過重労働・違法労働によって使い潰し、次々と離職に追い込む成長大企業」と定義し、「ブラック企業」問題とは、ただの「違法な企業」の問題ではなく、「若者(新卒)を使い潰す」という新しい問題、それも国家的問題・社会問題なのだ、と強調している。
また、今野氏は、別の著書[5]において、「ブラック企業」には、大要、次のような特徴があると指摘している。
まず、大量に採用した新卒社員に対し、経営者の価値観や方針への徹底的な従属を求め、自分は未だ一人前ではない、会社にとって「コスト=悪」でしかない存在であるという意識を植え付けることにより、入社後も続く「選抜」の競争に駆り立て、固定残業代などのテクニックを駆使して残業代を払わず、パワーハラスメントを戦略的に用い、過酷な長時間労働と自己学習に耐えきれない者、さらには心身を病むなどして脱落していく者を「自己都合退職」に誘導する、という「選別」と「使い捨て」のプロセスを用いる、というのである。
その背景として、今野氏は、同じ著書[6]において、伝統的な日本型雇用においては、企業は、労働者に対し「終身雇用」と「年功賃金」という二つの慣行による保障を与える代わりに、仕事の内容や命令のあり方にはほとんど制約をかけられず、強大な「人事権」を保持してきたところ、「ブラック企業」は、「終身雇用」も「年功賃金」も保障しないにもかかわらず、日本型雇用の「いいとこどり」をして、強大な「人事権」を「若者を使い潰す」ことに悪用している、したがって、「すべての日本企業はブラック企業になり得る」と警鐘を鳴らしている。
このように、「ブラック企業」問題は、決して一部の新興企業における特別な経営者のもとで発生したあだ花などではなく、全ての日本企業にとって、もはや維持し難くなった日本型雇用慣行に代わって、果たしてどのような雇用の制度・慣行を構築するべきなのか、という普遍性ある課題を、いささか極端な形で示してくれていると理解する必要があろう[7]。
4.「ブラック企業」とならないためには何をすべきか
保健師と精神障害者とシングルマザーを戦力化することと「ブラック企業」と言われないことと、一体どういう関係があるというのか、と疑問を持たれるかもしれない。そもそも、我が社にはそのような人材を雇う余裕などないし、ましてや「戦力化」など、相当にハードルが高そうだ、正社員として採用した若者に対して、直接、対策を講じるのが先決だろう、と思われるのも当然であろう。
それでは、何故、この三者を戦力化すべきと提案するのか。それは、「ブラック企業」が追求しているという「使い捨て」とは、正反対の要請を体現するものだからである。
保健師[8]には、何よりも社員の心身の健康のサポートのために、一人一人の社員に寄り添って活動して貰う。週に2、3日の勤務という形態も考えられるが、社員の食生活や睡眠の乱れ、メタボによる生活習慣病の予防、メンタルヘルス、さらには、癌と仕事の両立等、その専門的な知識・経験を活用して貢献してもらわなければならないことは、想像以上に沢山ある。
頻繁に来社して貰うことが難しい産業医など外部との連絡・調整の任もあるが、社内に向けて、社員の健康リテラシーを向上させる情報発信、職場の活力を増進し、風通しを良くするための運動(エクササイズ)や交流イベントなどを企画・コーディネイトして貰うことも期待される。
何よりも、ラインの外にあるという立場から、社員も安心して話をすることができる。特に、長時間勤務をせざるを得ない時期にある社員、異動や降格などストレスの強まる局面にある社員などには、重点的に面談などのケアをしてもらうことが有効であろう。
これらの役割の一部や類似した役割は、管理栄養士、精神保健福祉士、臨床心理士、産業カウンセラー、キャリア・コンサルティング技能士(国家検定)、キャリア・コンサルタント(民間資格)など、他の専門職に担ってもらうこともできるはずであるが、産業保健職を代表する資格として保健師を取り上げている。
精神障害者の雇用は、2013年改正された障害者雇用促進法により、4年後の2018年4月から義務化され、法定雇用率の対象となる。それに先立つ2016年4月には、障害を理由とする差別の禁止と合理的配慮の提供も義務づけられます。これに伴い、メンタルヘルス不調者へのあるべき対応は、会社として不調者をより包摂する努力をすべき方向に変化することが求められる可能性もあると思われる。
統合失調症、うつ病等に罹患していることをオープンにして求職する者が増えており、ハローワークでの障害者への職業紹介(就職件数)に精神障害者が占める割合は、2004年の10%から2012年には約35%に増加し、近い将来には、障害者雇用の過半を占めるようになると予想されている。
精神障害者は、障害と病気が表裏一体で、医療や支援者(ジョブコーチ)とのより緊密な連携が求められる。また、調子が良ければ健常者とほとんど変わりはなく、能力がずば抜けて優れている方もいるので、通常の職場で働いて貰うことが多くなるであろう。
もっとも、精神障害者は、自分の状態を認識して自己管理するのが苦手な傾向があるから、会社としては、個人ごとの特性を理解し、毎日の状態把握と適切なコミュニケーションが必要だ。できること・できないことを「見える化」し、できた仕事に対してポジティブなフィードバックで自信を付けていってもらう。
これらの対応は、メンタルヘルス不調者の復職支援や通常の若手社員の育成・管理と共通するところがあり、それをよりきめ細やかに慎重に行っているとも言える。そもそも、上司と部下の間で仕事の指示やプライオリティがうまく共有できず、そもそもコミュニケーションがスムーズにできないことが、パワーハラスメントやメンタルヘルス不調の原因となっているからだ。
精神障害者の雇用により蓄積される経験やノウハウは、社員の心の健康の維持・増進にとどまらず、職場での互いの職務の「見える化」とコミュニケーション技術の向上のために活用できる財産になるはずである。
シングルマザーの雇用は、女性社員のロールモデルとなる。働く目的がはっきりしており、責任感が強く、簡単な理由で仕事を辞めたりはしない。より上を目指すキャリアアップ志向が強く、同時に、子育てと仕事の両立を実現しなければならないからだ。
仕事に本気で取り組むことにおよび腰な女性社員、出産・育児休業後に復帰することに自信が持てない女性社員が、両立のハンディが大きいシングルマザーが会社の理解と支援を受け、立派に職責を果たしている姿を目の当たりにすることの効果は、如何ばかりであろうか。既に多くの企業がその価値に気付き、シングルマザーを積極的に活用し始めている。
女性がありのままで男性と伍して活躍できる企業では、その多様な価値観や経験からイノベーションが生まれることが期待される。特定の個人の価値観を社員全員が内面化することを求められるというようなことはあり得ない。仕事をする時間と場所、情報共有と意思決定の方法は、より効率的で、生産性を高める方向に進化していく。外資系企業では、役員・管理職のポジションで永らく女性を活用してきた。
5.終わりに
思えば「ブラック企業」の特徴として提起されている個々の問題、長時間労働、サービス残業、パワーハラスメント、メンタルヘルス不調などは、経営者が意図したものではないのは勿論としても、ほとんどの会社でその存在が認識され、種々の対策が講じられながら、未だ解決されていないものばかりである。それどころか、今後、これらの問題は益々深刻なものになりつつありながら、その解決を阻む環境は、より厳しいものとなっていこう。
二律背反の二つの要請の間でバランスをとろうとしても、どうしても、どちらか一方に引きずられていくものである。企業にとって、利潤の追求がその本分である以上、その要請には抗しがたいものである。このバランスを一方に極端に振り切ったのが、「ブラック企業」というビジネス・モデルなのかもしれない。
急がば回れの譬えではないが、もう片方の要請が強く求められる難しい課題にあえて取り組むことによってこそ、両要請のより高次な調和点が見出されることがある。このような取組は、具体的な課題に直面する現場で行われる。経営者には、種々の専門家の助言・支援を得つつ、職場での試行錯誤と創意工夫を理解し、その背中を押すリーダーシップが求められるのである。
高度成長期に形成された日本型雇用慣行に代替できるような、しっかりとした内実を持った新たな人事システムは、このような現場での実践からこそ導き出されるのではないだろうか。
なお、本稿における見解は、筆者個人限りのものであり、事務所を代表するものではないことをご承知おきいただきたい。
[1]第26回「勤労者短観」(概要)「勤労者の仕事と暮らしについてのアンケート調査」(正式名称)連合総研・2013年10月実施
[2] 朝日新聞Digital 2013年12月2日、Yomiuri Online 2013年12月3日
[3] 例えば、「働く過剰-大人のための若者読本」玄田有史(NTT出版・2005年)、「職場はなぜ壊れるのか-産業医が見た人間関係の病理」荒井千暁(ちくま新書・2007年)、「ルポ“正社員”の若者たち-就職氷河期世代を追う」小林美希(岩波書店・2008年)等
[4] 「ブラック企業ビジネス」今野晴貴(朝日新聞出版・2013年)192~196頁
[5] 「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」今野晴貴(文芸春秋・2012年)
[6] 前注今野180~190頁
[7]日本型雇用慣行が、特に新卒採用において、職務だけではなく、働く時間も空間も限定されていない、あたかも「空白の石版」の契約であり、世界的にはめずらしい「メンバーシップ型」であったこと、今後の変化の方向性等については、「若者と労働『入社』の仕組みから解きほぐす」濱口桂一郎(中央公論新社・2013年)等、同氏の著作を参照されたい。
[8]労働安全衛生法は、常時50人以上の労働者を使用する事業場に産業医を選任することを義務付けているだけである(それも、原則、常時1000人以上の労働者を使用する事業場でない限り、その事業場に専属の産業医である必要はない。)。しかし、たとえ法律がその選任を義務付けていなくとも、保健師を始めとする産業保健職、カウンセラー、コンサルタント等を選任し、戦略的に活用することによって、社員の健康の日常的なケアやメンタルヘルス不調者へのサポートを実効あらしめることができる。
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