連載「”発達する”人事」第2回(発達障害は「発達する」)執筆者:小島健一
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連載「“発達する”人事 ~ 発達障害の傾向のある人の雇用にかかわる留意点と実務」
雑誌『労務事情』(産労総合研究所)において2020年4月から1年間にわたり執筆して参りました連載「“発達する”人事~発達障害の傾向のある人の雇用にかかわる留意点と実務」(全12回)を毎週末を目安に1回ずつ掲載してゆきます。今回は連載第2回になります。
第2回 発達障害は「発達する」
子ども時代のこと
今回は、子どものときの話から始めます。筆者が生まれた半世紀も前の日本では、発達障害のことはほとんど知られていませんでしたが、もし子ども時代の筆者がタイムスリップしていまの小学校に入ったら、発達障害の疑いのある児童として特別支援教育の対象になっていたかもしれません。
筆者は、育てるのがかなり大変な子どもだったろうと思います。まず、歩き始めると、とにかく落ち着きがありませんでした。チョロチョロ走り回って、ひとときもじっとしていないし、一人でどこかに行ってしまう。あるときなど、筆者の姿が見えなくなって母親が必死に近所を探していたら、いつの間にか後ろに立っており、「どこにいたの~!?」と聞いたところ、にっこり笑って「お散歩!」と答えたそうです。連れて行ってもらったことがある、必ずしも近所ではない公園まで往復してきたようでした。母親は、片ときも目を離すことができず、車に轢かれるか、誘拐されるか、生きた心地はしなかったと言います。小学校に入ってからも、通信簿には必ず、「落ち着きがない」と書かれました。
それから、うっかり忘れ物やなくし物をすることが多かったです。小学校に通い始めると、通学路どおりに帰ったことがありませんでした。あちこちの屋敷の庭や空き地に入り込んで遊んでいるうちに、どこかにランドセルやセカンドバッグをおいてきてしまうのです。しょっちゅう、帰宅してから親に言われて気づき、薄暗いなかを一緒に探しに行ったものです。
そして、とにかく頑固で、融通が利かない、また、短気で、喧嘩っ早い子どもでした。周囲にはルールを守ることを執拗に求めるくせに、それでいて、自分がルールを破ってしまったときには、自分だけが間違っていると決め付けられるのが嫌で、叱っている親や先生にもルールを破ることがあることを認めさせようとし、また、自分にはルールを破るそれなりの理由があったことを認めてもらえるまで、なかなかあやまろうとしませんでした。母親と延々と数時間も押し問答を繰り返すことも、日常茶飯事でした。ルールを守らなければならない、曲がったことをしてはいけないという教えは、自分も他人も同じように従わなければならない絶対のものだったのです。
こんなことでは、当然のことながら、友だちとはもちろん、先生とも衝突することになります。小学校の中学年くらいになると、クラスの中で孤立しがちになり、先生からは面倒くさい生徒として疎まれていただろうと思います。
そんな筆者には、何かに興味を持つと徹底的にのめり込み、寝ても覚めてもそればかりを探求するところがありました。しかも、それをやり切ると、次のことに興味が移り、またひたすら熱中するのです。将来なりたい職業は、記憶しているだけでも、小学1年生で昆虫博士、2年生で植物博士、3年生で地質学者、4年生で天文学者、5年生で歴史学者、6年生で建築家でした。図鑑や百科事典、中高生向けの資料集や大人向けの雑誌まで集めて読みふけっては、ノートに絵や図を転写したり、夢想する将来構想をビジュアルで表現したりしていました。
こんなふうにかなり変わった子どもでしたが、両親は、筆者が夢中になることを止めるようなことはいっさいありませんでした。それどころか、現地や現物を見に連れて行ってくれ、両親自身も一緒に学び、楽しんでくれました。魚類学者、タレントとして活躍しているさかなクンのお母さまも同じだったそうです。「発達障害の自分の育て方」(主婦の友社・2016年)の著者であり、ご自身も発達障害(ADHDとアスペルガー症候群)の診断を受けている岩本友規さん(明星大学発達支援研究センター研究員)も、何かに夢中になって“耽溺する”ことは、発達障害の特性がある人にとって、とても大切なことだと仰っています。
それから、筆者の両親には、祖父母や親戚から、様々な家庭内のもめごとや社会的な困りごとの相談がしょっちゅう持ち込まれました。両親は、一人っ子だった筆者をいつも連れて、仲裁、交渉や助言のために赴きました。帰って来ると、“反省会”です。あのとき、あの人はこんな考え/気持ちだったのではないか、いやそうではなくこうだったろう、などと振り返っては、善後策を話し合うのです。筆者は、小学生のうちから耳年増になり、両親の参謀役でした。まるで、「見た目は子供、頭脳は大人」の名探偵コナンのようでした。
自他理解のプロセス
この経験は、後に、仕事に活かされることになります。筆者は、最近“二人羽織”と名づけた、少し変わった方法で、長年、企業の人事の皆さんが問題社員に対応するのを支援してきました[1]。
端的にいえば、発達障害やパーソナリティ障害が疑われる労働者が「他責傾向」を強めている場合、筆者自らは姿を見せず、使用者の背後から労働者との「対話」に介入し、使用者が自己変容することを通じて労働者の変容を促し、合意による円満解決を導くというものです。
先日、三柴丈典さん(近畿大学法学部教授)から、「小島さんがそれをやっているとき、どんな気持ちなの?」と問われたのに対して、思わず正直に、「昆虫観察!」と答えてしまいました。これは、決して人間を虫けらのように軽んじているということではなくて、俳優・香川照之さんの“昆虫愛”のように、愛着をもって、いとおしく見ているつもりなのです。
前出の岩本さんは、自閉症スペクトラム(ASD)のある人が、「自他の心の仕組みを知識として取り入れて認知し、社会的な文脈において認知的に自他の心をメンタライジング(「心で心を思うこと」「自己と他者の精神状態に注意を向けること」など。Allen et al. (2008上地他訳 2014))する経験を積み重ねて表象化していけば、定型発達の人の社会での振る舞いや自己のありようにかなり近づけると考えられる」という仮説を提示しています。これは、ご自身が体験した自他理解のプロセス、すなわち、「周囲との関係がうまくいかないことをきっかけとした自己への違和感は、読書による自己や他者概念についての知識の積み重ねや、多様な他者の在り方を見て、対話しメンタライジングするという経験を経て、まさに自己と他者の価値観のすり合わせをしていたある瞬間にリアルな自己感が立ち上がったことで解決された(岩本、2018)」ことともよく合致するそうです[2]。
筆者も、好きなことに耽溺する贅沢な時間と、他者の心を想像して議論する真剣勝負を経て、生活態度はまるでダメなくせに、やたらとルールにこだわる、難しい少年に、周囲に助けを求めることができる素直さと、他人のことを許せる寛容さが育まれ、いい意味で“いい加減”な人に変わっていったようです。期せずして、発達障害の特性を持つ人が、社会を生き抜くために必要な主体性・自律性を身につけるための理想的なトレーニングを受けていたのかもしれません。
[1] 拙稿「他責傾向の社員との『対話』のための私の支援方法~二人羽織~」(明星大学発達支援センター紀要 MISSION March/2020 No.5)、拙稿「合理的配慮の提供をめぐる『対話』が個人と組織を成長させる」(産業ストレス研究27巻2号 2020年)
[2] 岩本友規「発達障害のある人の就労に必要な自己理解とは―高機能自閉症スペクトラムにおける社会的自己の形成を中心に―」(明星大学発達支援研究センター紀要 MISSION March/2019 No.4)
【初出:「労務事情」(産労総合研究所)2020年5月15日 No.1406】